2014年11月8日土曜日

問1、空白を作りなさい






先日の展示
「空白を作る」を映像にしました。

http://youtu.be/LdUCX-qVK4o

展示空間から作品をなくし(空白にし)、
その空白の空間を使って新たな作品を作る。
というイメージです。



2014年10月26日日曜日

空白を作るという展示






現実世界から主題を取り除く。

空間に作品はなく、あるのは削ぎ落とされて最小化されたQRコード。

非現実世界への入口。

部屋の隅からは、囁くように、呟くように声が流れる。

空白とされるものを音によって空間に充満させる。

空白は減らすだけでなく増やすこともできる。

作品は全てブログの中。


















スペースをお借りしたデザインフェスタギャラリー原宿さんのブログにレポートを掲載して頂きました。ぜひご覧になってみてください。








2014年10月23日木曜日

  












昨日の夜は変な夢を見た
砂嵐のような夢
幼い頃は何度も見ていた夢

いつからか見なくなり
いつの間にか存在を忘れ
私も大人になるのだろう

「変わらないでいようね」

いつか誰かと交わした言葉が
とても無情に感じる

強く吹いた風に
大切なものが飛ばされないよう
ぎゅっと拳を握った私は
まだ子供でも大人でもないのだろう





2014年10月21日火曜日

     








いくら涙を流しても
身体にこびりついたもの

それでも人には見せられなくて

背をむけて

静かに
身体の中に溜め込んだもの
全てを吐き出した

また振り向けるときがきたら

何でもない日常に戻る





      









凝縮された二次元は永遠の自由を与える。
この30センチメートルは何を語るだろうか?
今、我々の視線は呼吸する。
湿度は沈黙を安らぎに変えた。
最適解を求める身体は、影を切り離した。
従順な錐体細胞は無彩を覚えて睡眠した。
論理性を欠いた正午過ぎよ。








       









昨日までの命は、今日、なくなった。

生の隣で死が顔を出す。

少し触れてしまえば尽きてしまうような、そんな儚いものだ。

奇跡的な生の感動が繰り返す。


何てことない僕らの日常。

         









閉じ込めた箱の蓋を開けて、世界に溶かしてしまおう。
求めすぎて溢れた意味を、世界に溶かしてしまおう。

まだ意味ではなく、すでに意味ではない。

記憶の影が消え去る前に、拒むように視界が揺れて、
あの日の出来事は、美しい色だけを残して空白と化してしまう。

時が経てば、この記憶もさらに霞んで、ぼやけて、脳は忘れてしまうだろうか。
目は、鼻は、耳は、新たな感動ばかりを集めるだろうか。










        








大きな壁にぶつかった時
その壁を乗り越える方法は
ひとつじゃないはずだ。

前を見て
先の自分をイメージして。

変化を楽しむ。

その先にいる自分は

かっこいいだろう。












空白  







ぽっかり空いた穴

抜け殻みたいに

すべてが不確かで虚ろで

空ろで洞ろで

穴に落ちていく

私が失われていく







空白




ああ 今日も人が多い 

大抵の事はネットで解決する

いつの間にか全てが与えられていた

突然此処に何もなくなって誰もいなくなったら

他人との隙間を埋めたくなって

もっと何かを作りたくなって

一人じゃないという確信が欲しくなる

満たされたいと願い行動する

私の中で何かが始まる

その為の 空白



空白    



意味のないことだから
空白なのか。
わざと見えないふりをして
空白にしたつもりなのか。

ばらばらになったピースをかき集めて

少し形が違くても
無理やりはめ込んで完成させていた。

終わりにしたくても確かに余るピース。

消してくれるのは時間だけか。
膝を抱えてじっと時が過ぎるのを待つのか。
それとも新たな記憶で上書きするのか。

「空白」
空白を作ろうとしなくていい。
新しいピースを手にとって
空白を埋めよう。

それは前よりも
ずっと素敵な絵になるはずだ。






空白











文字の一つ一つに彼女の顔を思い浮かべた。
胸の中に暖かさがしっとりと広がる感覚。
この空気が冷めないうちに、好きだと何度も伝えよう。
季節は秋と冬の間、1年前のことを思い出して、寒さも柔らかに感じる。
悲しみさえもひととき幻かと思うほど。
慣れない駅の前では、誰かが歌っている。
こうして愛してると口ずさんで笑う日が、ささやかに続けばいい。
僕の口から零れるのは、いつだって愛のある言葉であればいい。








ありのまま









浮いてなんかない。
浮いてなんかない。

少し顔を上げてみて。

浮いてなんかない。
僕らは浮いてなんかないんだ。













2014年10月13日月曜日

展示



デザインフェスタギャラリー原宿にて、
10月21日(火)〜23日(木)の3日間にわたり、展示会を行います。


昨年12月の企画から、10ヶ月ぶりに表現の場を持つことができました。
その間の空白。これをギャラリー空間に詰め込みます。


「空白を作る」のに作品を制作するという一見矛盾した行為。
僕たち自身も、どんな空間に仕上がるか、どんな展示になるか、楽しみにしています。


お時間ありましたら、ぜひ足を運んでみてください。
会場で皆様とお会いできることを楽しみにしています。
























Make a blank.




2014年8月23日土曜日

2014年7月2日水曜日

「   」







誰しも未来を見ることはできない。

未来はいつも空白だ。










2014年5月28日水曜日

「(空白)」




目の前に空白があったら、
人は、それを埋めたくなる。
そこに意味を求めたくなる。

空白の時間、空白の記憶…

意味のないものを作ることで、
空白を作ることで、
意味を見出そうとするよりも、
より強い意味が生まれる。

かもしれない。



















2014年4月26日土曜日

過去の展示




2013.12.20-22

「辿る」



息を吸って吐いて食べては排泄し寝る。時間は進み続ける。今日もこうして絶え間ない更新の手続き。そして葬り去られる未来を回避しえない。不可避な存在。崩壊と再生。辿る。




今回は、昨年の初の展示からちょうど1年後の展示となった。
ひとつのサイクルが終わり、また時間は動き出す。そんな構想で。




ボックス、瓶、水など透明の素材の中に寄り添う枯れた花。灯された蝋燭の火は、終わりを見守るようであり始まりを祝するよう。これまでは、写真や映像や物で空間をつくってきたが、最終日には展示空間の中を人(モデルさん)が服を着て歩き、僕たちの展示では初めて人と服が目に見える形で登場した。
いわばファッションショー。しかし僕たちはその形式を否定するかのように、8人のお客さんで目一杯の仄暗い空間の、透明の幕で覆われたその向こうをモデルさんが歩き、影が通り過ぎるだけの小さな舞台のように表現した。
見せるべきものを隠す、曖昧にする、空間そのものを展示とする。これは、過去の展示を振り返った時に見えてきた たどルらしさ ではないかと考え、形にした。
モデルさんが着用した服は、全てメンバーの私物。自分の服と他人の身体、自分の身体と他人の服。妙な関係性から生まれる"かっこいい"というシンプルな結論。
身体と衣服の不可解な関係性。


  

雑多な街の片隅で、1年は静かに幕を閉じた。終わりの余韻は始まりの予感でもある。僕らの表現は1枚の写真になり、白紙の上のインクになり、ガラクタになったかもしれない。でも、僕らは続いていくだろう。季節が知らずうちに変わるように、見えるか見えないかも分からずに。終わりと始まりの区別もつかずに。

静かに続いていくのだ。





















高円寺のショップ、villains様のご好意でスペースを貸して頂きました。
ありがとうございました。




2014年4月21日月曜日

過去の展示





2013.10.11-13

toddle photo exhibition「A ⊂ B」

















文字の重なったフライヤー。とにかく読みづらい。そして文章が頭に残らない。
この感じ。絡まる感じ、つまづく感じ、引っかかる感じ、もやもやする感じ、すっきりしない感じ。
社会や環境の中で、僕たちを取り巻く様々な縛りやしがらみについて考える展示となった。


















A ⊂ B(AしゅうごうB)とは、集合Aの中にある集合Bを表している。
例えるなら、学校(集合A)の中のクラス(集合B)とか、家族(集合A)の中の自分(集合B)という具合だ。
社会の仕組みや人間関係は、A ⊂ Bという形によって成り立っているのではないかと考えた。上の写真では、透明のボックスの中に透明のボックスが入っている。A ⊂ Bという関係性へと見えないうちに、気づかぬうちに組み込まれた様を表しており、周りに散らばったボックスは、その関係性が複数存在することを表している。





空間を埋め尽くすコードは、縛りやしがらみを表している。ここに頻出する縛りやしがらみといったキーワードは、マイナス要素であると考えられる。しかし、ある一定の縛りがあるからこそ、成り立っているものはないか。マイナスな要素から、プラスな発想を見出せないかと考えた。
コードは機器を繋ぎ電気を送る。この空間は、僕らを制限する因子だけでなく、情報社会における人々との繋がりを表してもいる。
見た目だけでイメージを決めないように、雰囲気だけで先入観を抱かないように、思い込みによって多様性を見失わないように。

自由と疎外。

モノをものにしよう。






スペースをお借りしたデザインフェスタギャラリーさんにも、展示に関する記事を掲載して頂きました。 こちら





2014年4月13日日曜日

過去の展示





2013.06.24-29

toddle photo exhibition「可能性」


偶然負わされたものと折り合いをつけること。
身体と服の関わり合いを続けること。
服があることで生まれる人の可能性。
人が着ることで生まれる服の可能性。
服は、見えるものだけを映し出しているのではない。


たどルの2回目となる展示は、中目黒の Gallery 7℃ さんにて。
多くの言葉と写真で空間を構成した。「写真展」というイメージを壊したかった。

















時間は絶えず流れる。時は崩壊と再生を繰り返す。

偶然に負わされたもの。生、性、身体、時代、社会、環境…

疑問、提案、アイディア、反定立、コンプレックス、悲しみ、想像を空間に詰め込む。

身体と服の関わり合い。

考えを続けること。

自分は何者か?という問いに答えようとすること。

不確かな自分を揺さぶること。

服を取り替えて身体を揺さぶること。

展示空間を揺さぶることで転がりだす可能性を見出したい。



















内に溜められたアイディアは、だれに対しても意味を持たない。一度外に向かってしまえば、人々の目に曝され、単なる作品にとどまらず意味を持ち始める。僕らの伝えようとする意思、それを見る人の理解しようとする試み、これは一つのコミュニケーション。



多くの情報が溢れる現在、僕たちはその情報を見る必要がある。当たり前と思っていた、常識とされていた考えを、疑ってみる必要がある。このギャラリーに点在する多くの作品(情報)も正確ではない。答えはない。決めるのは自分だ。他でもない、あなたのその目だ。








2014年4月8日火曜日

過去の展示






2012.12.20-21

toddle photo exhibition「ありのまま」





















「ありのままの自分から自分を知る。
他人とは違っていたいと思う自分、他人と同じでありたいと思う自分、
ありのままの自分はどこにいるのか。共通から相違を探る。」

自分と他人との違いを知るためには、まず共通項を見つけ出す必要がある。

作品は全て白黒の写真で、被写体の着用した服も全て白黒。
できる限り条件を揃えて、それでも異なって見えてくる部分こそが、自分らしさと言えるのではないかと考えた。

それは服のシルエット、バランス、身体の輪郭、仕草、雰囲気など。目線も全て切ってある。目線を隠した途端に、その人の意思や思考は遠のいてしまう。言葉を用いずにコミュニケーションをする、非言語的なコミュニケーション手段によって伝わるのか、という試みであった。

時間軸は僕らを乗せて進み続ける。その各地点において繰り返される選択の連続によって自分は形成されていく。身の回りにある不確かな情報に同調ばかりしていないか、その決定は自分の意志によってされているか…

ありのままの自分とは何だろう。

たどルとして初の展示では、ご来場くださった約70名の皆様に疑問を投げかけると共に、この展示が行われた時点での自分たちを見つめ直した。たどルの活動が、何かを考えたり創ったり、といったきっかけになれれば幸いだ。








2014年4月4日金曜日

たどル


これまでは、Twitterで主に情報発信をしていましたが、このたびブログを開設する運びとなりました。
ブログの方もチェックして頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

改めて、たどルとは...
たどル の語源は【toddle】です。よちよち歩くという意味で、「ターダァル」と発音することから、その意味に近い「辿る」に基づき、たどる→たどルとなりました。

「たどル」は、人と服について考え、発信をしようとする集団です。都内のギャラリースペースをお借りして、展示会という形で発信しています。過去4回の展示を行い、写真、言葉、服、人、映像、といったツールを用いて、空間全体(構成、音、空気、温度、匂い)の演出を大切にしてきました。

たどルは、学生さんのファッションにおける表現としてよく目にする、ストリートスナップやファッションショーといった形態を避けています。見識のない僕らには、ストリートを模倣的に表現することしかできず、ストリートの価値を下げかねないと判断したためです。また、ファッションショーが服を魅せるための最高形態ではないと感じたためです。

自分たちがその時々に感じたこと、考えたこと、伝いたいことを空間に詰め込み、会場に足を運んでくださった方と言葉を交わし、問題解決に力を尽くしています。少し先になりそうですが、5回目の展示を企画し、動き出しています。また皆様との新たな出会いがあることを楽しみにしています。