2014年4月26日土曜日

過去の展示




2013.12.20-22

「辿る」



息を吸って吐いて食べては排泄し寝る。時間は進み続ける。今日もこうして絶え間ない更新の手続き。そして葬り去られる未来を回避しえない。不可避な存在。崩壊と再生。辿る。




今回は、昨年の初の展示からちょうど1年後の展示となった。
ひとつのサイクルが終わり、また時間は動き出す。そんな構想で。




ボックス、瓶、水など透明の素材の中に寄り添う枯れた花。灯された蝋燭の火は、終わりを見守るようであり始まりを祝するよう。これまでは、写真や映像や物で空間をつくってきたが、最終日には展示空間の中を人(モデルさん)が服を着て歩き、僕たちの展示では初めて人と服が目に見える形で登場した。
いわばファッションショー。しかし僕たちはその形式を否定するかのように、8人のお客さんで目一杯の仄暗い空間の、透明の幕で覆われたその向こうをモデルさんが歩き、影が通り過ぎるだけの小さな舞台のように表現した。
見せるべきものを隠す、曖昧にする、空間そのものを展示とする。これは、過去の展示を振り返った時に見えてきた たどルらしさ ではないかと考え、形にした。
モデルさんが着用した服は、全てメンバーの私物。自分の服と他人の身体、自分の身体と他人の服。妙な関係性から生まれる"かっこいい"というシンプルな結論。
身体と衣服の不可解な関係性。


  

雑多な街の片隅で、1年は静かに幕を閉じた。終わりの余韻は始まりの予感でもある。僕らの表現は1枚の写真になり、白紙の上のインクになり、ガラクタになったかもしれない。でも、僕らは続いていくだろう。季節が知らずうちに変わるように、見えるか見えないかも分からずに。終わりと始まりの区別もつかずに。

静かに続いていくのだ。





















高円寺のショップ、villains様のご好意でスペースを貸して頂きました。
ありがとうございました。




2014年4月21日月曜日

過去の展示





2013.10.11-13

toddle photo exhibition「A ⊂ B」

















文字の重なったフライヤー。とにかく読みづらい。そして文章が頭に残らない。
この感じ。絡まる感じ、つまづく感じ、引っかかる感じ、もやもやする感じ、すっきりしない感じ。
社会や環境の中で、僕たちを取り巻く様々な縛りやしがらみについて考える展示となった。


















A ⊂ B(AしゅうごうB)とは、集合Aの中にある集合Bを表している。
例えるなら、学校(集合A)の中のクラス(集合B)とか、家族(集合A)の中の自分(集合B)という具合だ。
社会の仕組みや人間関係は、A ⊂ Bという形によって成り立っているのではないかと考えた。上の写真では、透明のボックスの中に透明のボックスが入っている。A ⊂ Bという関係性へと見えないうちに、気づかぬうちに組み込まれた様を表しており、周りに散らばったボックスは、その関係性が複数存在することを表している。





空間を埋め尽くすコードは、縛りやしがらみを表している。ここに頻出する縛りやしがらみといったキーワードは、マイナス要素であると考えられる。しかし、ある一定の縛りがあるからこそ、成り立っているものはないか。マイナスな要素から、プラスな発想を見出せないかと考えた。
コードは機器を繋ぎ電気を送る。この空間は、僕らを制限する因子だけでなく、情報社会における人々との繋がりを表してもいる。
見た目だけでイメージを決めないように、雰囲気だけで先入観を抱かないように、思い込みによって多様性を見失わないように。

自由と疎外。

モノをものにしよう。






スペースをお借りしたデザインフェスタギャラリーさんにも、展示に関する記事を掲載して頂きました。 こちら





2014年4月13日日曜日

過去の展示





2013.06.24-29

toddle photo exhibition「可能性」


偶然負わされたものと折り合いをつけること。
身体と服の関わり合いを続けること。
服があることで生まれる人の可能性。
人が着ることで生まれる服の可能性。
服は、見えるものだけを映し出しているのではない。


たどルの2回目となる展示は、中目黒の Gallery 7℃ さんにて。
多くの言葉と写真で空間を構成した。「写真展」というイメージを壊したかった。

















時間は絶えず流れる。時は崩壊と再生を繰り返す。

偶然に負わされたもの。生、性、身体、時代、社会、環境…

疑問、提案、アイディア、反定立、コンプレックス、悲しみ、想像を空間に詰め込む。

身体と服の関わり合い。

考えを続けること。

自分は何者か?という問いに答えようとすること。

不確かな自分を揺さぶること。

服を取り替えて身体を揺さぶること。

展示空間を揺さぶることで転がりだす可能性を見出したい。



















内に溜められたアイディアは、だれに対しても意味を持たない。一度外に向かってしまえば、人々の目に曝され、単なる作品にとどまらず意味を持ち始める。僕らの伝えようとする意思、それを見る人の理解しようとする試み、これは一つのコミュニケーション。



多くの情報が溢れる現在、僕たちはその情報を見る必要がある。当たり前と思っていた、常識とされていた考えを、疑ってみる必要がある。このギャラリーに点在する多くの作品(情報)も正確ではない。答えはない。決めるのは自分だ。他でもない、あなたのその目だ。








2014年4月8日火曜日

過去の展示






2012.12.20-21

toddle photo exhibition「ありのまま」





















「ありのままの自分から自分を知る。
他人とは違っていたいと思う自分、他人と同じでありたいと思う自分、
ありのままの自分はどこにいるのか。共通から相違を探る。」

自分と他人との違いを知るためには、まず共通項を見つけ出す必要がある。

作品は全て白黒の写真で、被写体の着用した服も全て白黒。
できる限り条件を揃えて、それでも異なって見えてくる部分こそが、自分らしさと言えるのではないかと考えた。

それは服のシルエット、バランス、身体の輪郭、仕草、雰囲気など。目線も全て切ってある。目線を隠した途端に、その人の意思や思考は遠のいてしまう。言葉を用いずにコミュニケーションをする、非言語的なコミュニケーション手段によって伝わるのか、という試みであった。

時間軸は僕らを乗せて進み続ける。その各地点において繰り返される選択の連続によって自分は形成されていく。身の回りにある不確かな情報に同調ばかりしていないか、その決定は自分の意志によってされているか…

ありのままの自分とは何だろう。

たどルとして初の展示では、ご来場くださった約70名の皆様に疑問を投げかけると共に、この展示が行われた時点での自分たちを見つめ直した。たどルの活動が、何かを考えたり創ったり、といったきっかけになれれば幸いだ。








2014年4月4日金曜日

たどル


これまでは、Twitterで主に情報発信をしていましたが、このたびブログを開設する運びとなりました。
ブログの方もチェックして頂けたら幸いです。よろしくお願いします。

改めて、たどルとは...
たどル の語源は【toddle】です。よちよち歩くという意味で、「ターダァル」と発音することから、その意味に近い「辿る」に基づき、たどる→たどルとなりました。

「たどル」は、人と服について考え、発信をしようとする集団です。都内のギャラリースペースをお借りして、展示会という形で発信しています。過去4回の展示を行い、写真、言葉、服、人、映像、といったツールを用いて、空間全体(構成、音、空気、温度、匂い)の演出を大切にしてきました。

たどルは、学生さんのファッションにおける表現としてよく目にする、ストリートスナップやファッションショーといった形態を避けています。見識のない僕らには、ストリートを模倣的に表現することしかできず、ストリートの価値を下げかねないと判断したためです。また、ファッションショーが服を魅せるための最高形態ではないと感じたためです。

自分たちがその時々に感じたこと、考えたこと、伝いたいことを空間に詰め込み、会場に足を運んでくださった方と言葉を交わし、問題解決に力を尽くしています。少し先になりそうですが、5回目の展示を企画し、動き出しています。また皆様との新たな出会いがあることを楽しみにしています。